原発と夢とお金、そして文明国とは…

コメント(全8件)
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DHMO ― 2011-06-19 01:09
未だに金勘定でことが済むと考えているのは、オイルショックを知らない世代の幻想だな。
私設原子力情報室 ― 2011-06-19 09:01
>(未記入)さん
コメントありがとうございます。
このブログでは、政府や東電の権力者以外に対しては、個人名を挙げての批判は避けてきたのですが、あの記事だけは許せませんでした。
紙面で、福本容子論説委員が新たな立場を表明することに期待しています。
甘いか…
jiro ― 2011-06-20 09:48
毎日新聞論説室福本容子さんは言論人としてあるまじき卑劣極まりないやり方で村上春樹さんの主張を貶めていますね。この姿勢は、原子力村界隈のえせ学者たちが学問的な誠実さを放棄してしまっているのと通底するものがあるようです。
破格の報酬によって良心を麻痺させてしまった人々。マスコミ、政官学に及ぶ買収と癒着の構造。しかもそれらのお金は世界的にも割高とされる我々の支払う電気料金によってまかなわれているんですよね。
これだけの不祥事を起こしながら、呆れるほど小額な賠償金しか提示せず、退職金や年金は温存し、存続できる一私企業があって良いのでしょうか?
身内からも「明らかに人災である」という発言が飛び出し、安全対策を怠った数々の証拠があるにもかかわらず、誰一人捕まらず、責任も問われず、まったく同じ人たちが今後、安全に他の原発を稼動していけると本当に信じているの海江田さん。
「神の仕業としか言いようが無い」などという明らかに責任放棄の無反省な発言をする大臣を罷免せず許してしまっても良いのでしょうか?

ところで村上さんは決して「非現実的な夢想家になろう」などと能天気なことをいっている訳ではありません。国策としての原子力推進と電力会社の膨大な宣伝費によるメディア買収との結果として、原発に疑問を呈する人々に対して「非現実的な夢想家」という不名誉なレッテルが貼られてゆくと言っているのです。この前提を飛ばしてしまうと論旨は全く別の意図に曲解されてしまいます。福本さんは卑怯にもそれをやった。電力会社の用意した数字だけを羅列して、いかにも「無責任な夢想主義者」対「現実主義者」の対立という虚構の構図を印象づけようとした。(以下、“−”部は村上さんのスピーチ原文より引用します)
“原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。”
“それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。”
倫理や規範が損なわれた社会では、「効率」や「便宜」が「現実」の名を騙る社会では「非現実的な夢想家」と揶揄されることを恐れてはならない、だから敢て「非現実的な夢想家として」と村上さんはタイトルしたのだと思います。
“日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。”
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