過去の臨界事故例2】
そのほとんどが、即発臨界だったと考えられます。なぜなら、意図せずに起きる臨界状態で、「即発中性子の数が、臨界量に対して99%以上、100%未満」という狭い範囲に納まるのは、余程の偶然が重ならない限りあり得ないからです。
もちろん原爆も即発臨界なのですが、核燃料では、ウラン235の濃度が低いため、原爆のような核爆発までは起きません。しかし、大量の中性子線と放射性物質が短時間の間に生成されます。
分かりやすいように具体的に見ていきましょう。
まず、1999年に東海村で二人の命を奪い、多くの住民を被ばくさせたJCO事故。高速増殖炉の研究に使う核燃料の製造工程で、ウラン溶液が臨界を越えてしまいました。国もJCOも正式には認めていませんが、最初の段階で即発臨界を起こしたのは間違いありません。
この図で、「最初のバースト」と書かれているのが、即発臨界です。
即発臨界は、長い時間は続きません。次々と核分裂が起き、ウラン235の数が、あっと言う間に減って、濃度が下がっていくからです。
そして、臨界量に対して、即発中性子が99%、遅発中性子が1%程度になったところで、原子炉内と同じような遅発臨界状態に。JCO事故では、ウラン溶液の周りに冷却水があり、これが遅発中性子をはね返し、外に逃げる中性子が少なかったため、20時間という長い時間に渡って臨界状態が続きました。即発臨界のピーク時に比べて、遅発臨界の状態では、核分裂反応の回数は千分の一になっています。それでも、事故現場の中性子線量がとても高く、臨界を抑えるための作業は命がけでした。小さな原子炉が裸の状態で運転を続けているのと一緒ですから。
福島第1の事故では、3号炉で「即発臨界爆発」が起きたのではないか?と騒ぎ立てる向きもありますが、これは正確ではありません。
まず、即発臨界爆発とは核爆発のこと。核燃料のウラン濃度やプルトニウム濃度では核爆発は起きません。
一方、1号炉から3号炉まで、いずれも地震直後に制御棒が全挿入され、一旦は、核分裂連鎖反応が止まっています。その後、冷却水が止まったために、炉心溶融が起きるのですが、溶け出した核燃料が、一部で「濃度」「大きさ」「形状」の条件を満たして、再臨界を起こした可能性は否定できません。もし起こしていれば、ほぼ間違いなく最初は即発臨界に達したはずです。大きな熱エネルギーが出ますから、さらに炉心溶融は加速。水素の発生も促進されたでしょう。ですから、再臨界(即発臨界)が、より大きな水素爆発を引き起こした可能性はあります。
さらに、プルトニウム239はウラン235よりも即発臨界に達しやすいとされていますので、MOX燃料を使っていた3号炉で、1号炉より大きな水素爆発が起きた理由とも考えられます(現在までに、福島第1で再臨界が起きたとは確認されていません)。
話を戻しましょう。
通常の運転か、原子炉暴走かの境目は、たった1%です。ちょっとしたトラブルや操作ミスで、即発中性子が臨界量を越えた途端に原子炉は暴走します。この暴走は簡単には止められません。かと言って、99%を切ると連鎖的核分裂反応が維持できません。
よくこんな危険な技術に、「人類のエネルギーの夢を託す」なんて言ってきたものです。人類が原子炉を初めて作ったのは1942年の事。原爆を作るためでした。それから69年。もう、『たった1%の綱渡り』から、私たちは足を洗う必要があります。
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