今、福島の人たちは、まったくひどい状況の中に住み続けることを強制されています。
国が発表した年間1ミリシーベルトという除染のための基準。『汚染状況重点調査地区域』という難しい名称が付いていますが、簡単に言えば、福島第1由来の外部被ばく量が年間1ミリシーベルトを越える場所には、除染を受ける権利が有るという話です。最初、年間5ミリシーベルトと発表して、被災者から猛反発を食い、1ミリシーベルトに下げた経緯があるため、いかにも低い数字のように思えますが、これに騙されてはいけません。
この年間1ミリシーベルトという数字を冷静に見直すためには、除染だけでなく、避難や移住まで含めて、今、どういった基準になっているのか… それを検証し直す必要があります(福島の皆さんは切実な問題なので、ほとんど理解されていると思いますが、全国的に見ると多くの人が理解していません)。
まず一覧表で、チェルノブイリの基準と較べてみましょう。いかに、福島の基準が緩いものなのかお分かりいただけると思います。それは、とりもなおさず、福島の人たちが、きわめて危険な場所に住み続けさせられているということです。
年間1ミリシーベルトは、チェルノブイリでは、クリーンな環境への「移住権利」が認められる基準でした。
福島では、年間1ミリシーベルトでは、まったく先行きの見えない除染を受ける権利しか得ることができません。
他にも、チェルノブイリと福島では、明らかに、人の健康と命に対する基本的な考え方が、違っています。ソ連という国が崩壊するかしないかという瀬戸際の時期に、語弊を恐れずに言うなら、「チェルノブイリでさえ、ここまでやっていた」のです。
分かりやすい図にまとめてみました。
実質的に、避難や疎開・移住が義務化される基準値は、チェルノブイリでは年間5ミリシーベルトでした。福島では20ミリシーベルトです。「移住権利」については明確な概念すらなく、実質的には20ミリシーベルトを越えないと得ることができません。これはチェルノブイリの基準の20倍です。
年間20ミリシーベルトより下には、「除染を受ける権利」しかありません。しかし、その除染は遅々として進まず、時が無為に流れています。山林や農地の除染は見通しがまったく立たず、住宅地でも「屋根の除染が難しい」「風が吹くと放射性セシウムが舞い上がっているらしい」「セシウム以外の核種はどこにどうなているのか不明」といった新たな困難が明らかになっています。国や自治体が立ち止まる度に、住民は、しなくてよい被ばくを受け続けているのです。
「除染なのか移住なのか」という議論も起きています。これは、最終的には、どこかで線を引かなくてはなりません。ただ、必ずしも一本の明確な線である必要はありません。
まず、「移住権利エリア」をある程度広範囲にとって、移住するかどうかの判断を住民が行えるようにするべきでしょう。
それでもエリアごとの境界線は決めなくてはいけませんが、単純に○○シーベルトで切るのではなく、すくなくとも集落単位で設定すべきです。移住するにしても、住み続けるにしても、多くの困難が伴います。その時に、今まで暮らしてきた共同体が完全に失われてしまったら、何も前に進まなくなるでしょう。
住民の移住に関する原則があります。それは、東電と政府は、住民の生活を3.11の前の状態に戻す義務があるということを明確化すること。2ヘクタールの稲作をしていた農家には2ヘクタールの水田を。600頭の牛を飼っていた畜産家には600頭の牛を。この原則を徹底して守りながら、移住を実行しなくてはなりません。
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